春夏秋冬の久遠寺、そして朝と昼の久遠寺を知るべし!
地元民・リピーターによるおすすめポイント!!
正式には、身延山 妙法華院 久遠寺(みのぶさん みょうほっけいん くおんじ)。
日蓮宗約5000ヶ寺の総本山で、比叡山、高野山と並ぶ日本仏教三大霊山の一つに数えられます。
日蓮聖人が身延山に入られたのは1274年。
2年後の2023年には750年目を迎えます。
亡くなる時には、「法華経、お題目を信仰する皆さんは、わたくし日蓮の魂が未来永遠に宿る身延山をもととしてお参りして下さい。」という遺言を残されたという、まさに聖地です。
総門には「開会関(かいえかん)」という言葉が書かれた額が掲げられています。
「開会関」とは、全ての人が法華経の元に救われる門という意味。この言葉が示すように、信じる宗教も国籍も性別も関係なく、全ての人を受け入れています。
今、殊更にDiversity(多様性)の重要性が叫ばれていますが、実はお釈迦様の時代から存在していた考え方だったのか!と改めて考え方だと気づかされます。
葛飾北斎が「身延川裏不二」で描いたように、古くから多くの人が救いを求めて、久遠寺を詣でてきました。
仏具店、数珠店、飲食店、土産物店など、門前町の雰囲気が漂う門内商店街の先にあるのは、羅城門を思わせる大きな総けやき造りの三門。
お寺の門は、「山門」という字が当てられることが多いのですが、身延山では、「三つの門」と書きます。これは、仏教の教えの「空」、「無相」、「無願」の三解脱からきています。
三門には、多くの草鞋が奉納されています。
「身延川裏不二」に描かれていた人たちも、草鞋を履いてこの地を目指して歩いて来たのだろうなと、歴史に思いを馳せつつ、繋がれたワンコの頭を撫でつつ、目に入るのは、壁のような石段。
一段一段に30cmの定規がすっぽりと収まるほどの高さ、平均16.5センチの駅の階段のほぼ倍の高さが287段続く「壁」のような石段です。
「悟りにいたる階段」という意味の「菩提梯」と名付けられたこの石段を上る「ハードな悟り」が苦手な場合は、西谷を上がり、「せいしん駐車場」の先にある斜行エレベーターを利用し、心拍数を上げることなく、「ソフトな悟り」を選択することも可能です。
総門で見た「開会関(かいえかん)」という言葉が、「全ての人が救われる門」という意味だということをしみじみ思い出しつつ久遠寺をお詣りしましょう!
明治8年(1875年)の大火の後に再建された本堂や祖師堂などのお堂は荘厳の一言に尽きます。堅固な作りの本堂には、戦後を代表する日本画家の加山又造が描いた「墨龍」の天井画。
祖師堂は、江戸時代に施された彫刻などの繊細な美しさに溢れています。
是非とも、ガイドをお願いして久遠寺の中をご覧になってください。百読みは一見に如かず!
境内のしだれ桜の、息を飲むほどの美しさは全国的に知られていますが、久遠寺の「旬」は春だけではありません。朝5時半(10月から3月までは6時)から毎日行われる朝勤(ちょうごん)に参列すればその意味が分かるはず。
身延山に点在する宿坊や、門前町の旅館に滞在し、朝勤を体験してみてください。
身体全身を使って撞く大きな鐘は朝勤の序章。
堂内に大太鼓の音が鳴り響くと、朝勤が始まります。大太鼓のリズムに合わせ、50人ほどのお坊さんたちが入場。
低く力強い太鼓のビート、若い修行僧のシャウトに近い読経をバックに、リードボーカルのような高僧が滑らかに厳かに読む経が、朝の張り詰めた空気の中に響き渡ります。誤解を恐れずに言えば、それは、まさに低音ギターとバスドラムのビートが効いたヘヴィメタル!
一方、昼下がりの久遠寺の境内の楽しみは、ボサノヴァやパッヘルベルのカノンのような心地良さ。山ならではの澄んだ空気の中で、すれ違う僧侶と話をしたり、ブッポウソウやアカショウビンの鳥の声に耳を澄ましたり、新しくなったロープウェイで山の景色を楽しみながら、山頂の「奥之院 思親閣」まで足を延ばしたり。
年中無休の、いや、四季折々それぞれ違う楽しみがある、毎日が旬の久遠寺。「一生に一度は身延山へ」と切望していた葛飾北斎の時代の人々からの羨望の眼差しをどこからか感じつつも、何度も訪れ、その全てを知りたいと思わせる場所であり、信じる宗教や考え方などの個人的なバックグラウンド、訪れる季節、訪れる時間、宿泊する場所、出会った人によって、多種多様の顔を見せてくれる場所、それが身延山 久遠寺なのです。
身延山 久遠寺
住所
山梨県南巨摩郡身延町身延3567
電話
0556-62-1011
FAX
0556-62-1094
メールアドレス
info@kuonji.jp
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