身延山 久遠寺
2021/08/29
正式には、身延山 妙法華院 久遠寺(みのぶさん みょうほっけいん くおんじ)。
日蓮宗約5000ヶ寺の総本山で、比叡山、高野山と並ぶ日本仏教三大霊山の一つに数えられます。
日蓮聖人が身延山に入られたのは1274年。
2年後の2023年には750年目を迎えます。
亡くなる時には、「法華経、お題目を信仰する皆さんは、わたくし日蓮の魂が未来永遠に宿る身延山をもととしてお参りして下さい。」という遺言を残されたという、まさに聖地です。
総門には「開会関(かいえかん)」という言葉が書かれた額が掲げられています。
「開会関」とは、全ての人が法華経の元に救われる門という意味。この言葉が示すように、信じる宗教も国籍も性別も関係なく、全ての人を受け入れています。
今、殊更にDiversity(多様性)の重要性が叫ばれていますが、実はお釈迦様の時代から存在していた考え方だったのか!と改めて考え方だと気づかされます。
葛飾北斎が「身延川裏不二」で描いたように、古くから多くの人が救いを求めて、久遠寺を詣でてきました。
仏具店、数珠店、飲食店、土産物店など、門前町の雰囲気が漂う門内商店街の先にあるのは、羅城門を思わせる大きな総けやき造りの三門。
お寺の門は、「山門」という字が当てられることが多いのですが、身延山では、「三つの門」と書きます。これは、仏教の教えの「空」、「無相」、「無願」の三解脱からきています。
三門には、多くの草鞋が奉納されています。
「身延川裏不二」に描かれていた人たちも、草鞋を履いてこの地を目指して歩いて来たのだろうなと、歴史に思いを馳せつつ、繋がれたワンコの頭を撫でつつ、目に入るのは、壁のような石段。
一段一段に30cmの定規がすっぽりと収まるほどの高さ、平均16.5センチの駅の階段のほぼ倍の高さが287段続く「壁」のような石段です。
「悟りにいたる階段」という意味の「菩提梯」と名付けられたこの石段を上る「ハードな悟り」が苦手な場合は、西谷を上がり、「せいしん駐車場」の先にある斜行エレベーターを利用し、心拍数を上げることなく、「ソフトな悟り」を選択することも可能です。
総門で見た「開会関(かいえかん)」という言葉が、「全ての人が救われる門」という意味だということをしみじみ思い出しつつ久遠寺をお詣りしましょう!
明治8年(1875年)の大火の後に再建された本堂や祖師堂などのお堂は荘厳の一言に尽きます。堅固な作りの本堂には、戦後を代表する日本画家の加山又造が描いた「墨龍」の天井画。
祖師堂は、江戸時代に施された彫刻などの繊細な美しさに溢れています。
是非とも、ガイドをお願いして久遠寺の中をご覧になってください。百読みは一見に如かず!
境内のしだれ桜の、息を飲むほどの美しさは全国的に知られていますが、久遠寺の「旬」は春だけではありません。朝5時半(10月から3月までは6時)から毎日行われる朝勤(ちょうごん)に参列すればその意味が分かるはず。
身延山に点在する宿坊や、門前町の旅館に滞在し、朝勤を体験してみてください。
身体全身を使って撞く大きな鐘は朝勤の序章。
堂内に大太鼓の音が鳴り響くと、朝勤が始まります。大太鼓のリズムに合わせ、50人ほどのお坊さんたちが入場。
低く力強い太鼓のビート、若い修行僧のシャウトに近い読経をバックに、リードボーカルのような高僧が滑らかに厳かに読む経が、朝の張り詰めた空気の中に響き渡ります。誤解を恐れずに言えば、それは、まさに低音ギターとバスドラムのビートが効いたヘヴィメタル!
一方、昼下がりの久遠寺の境内の楽しみは、ボサノヴァやパッヘルベルのカノンのような心地良さ。山ならではの澄んだ空気の中で、すれ違う僧侶と話をしたり、ブッポウソウやアカショウビンの鳥の声に耳を澄ましたり、新しくなったロープウェイで山の景色を楽しみながら、山頂の「奥之院 思親閣」まで足を延ばしたり。
年中無休の、いや、四季折々それぞれ違う楽しみがある、毎日が旬の久遠寺。「一生に一度は身延山へ」と切望していた葛飾北斎の時代の人々からの羨望の眼差しをどこからか感じつつも、何度も訪れ、その全てを知りたいと思わせる場所であり、信じる宗教や考え方などの個人的なバックグラウンド、訪れる季節、訪れる時間、宿泊する場所、出会った人によって、多種多様の顔を見せてくれる場所、それが身延山 久遠寺なのです。
奥之院 思親閣
2021/08/29
身延山の山麓に位置する久遠寺からロープウェイに乗ること約7分。
身延山の山頂には、「奥之院 思親閣」があります。ここは、日蓮聖人が、房総半島の小湊にある故郷を思い出されては、山道を登りご両親を追慕した地。
700年以上も前のこと、当時はロープウェイという便利な乗り物はあったはずもなく、一歩一歩、道なき山道を踏みしめて登られたのでしょう。久遠寺の本堂裏から歩くと2~3時間かかるとか。
標高1153メートルの山頂は、真夏でもひんやりとした空気は、下界よりもピンと張り詰めているように感じられます。秋冬や早春なら尚のこと、何か1枚羽織る物を持って上がることをお薦めします。
ロープウェイ駅の近くにある展望台からは、天気が良ければ、房総半島まで見渡せることができます。時の流れとともに、眼下に見える町の景色は変わっているとしても、雄大な自然は恐らく当時のまま。
約750年前に日蓮聖人が見た景色や想いを想像しながら、遠くを見つめる。
房総半島出身の人でなくとも、今、この地に立っていることの幸せと、自分をこの世に送り出してくれた両親への感謝が込み上げてくることと思います。
日蓮聖人の像に挨拶し、仁王門をくぐって祖師堂でお参り。
ここで下山しては「思親閣」を満喫したことになりません。
祖師堂と釈迦像の間にある道を左の方へ行ってみてください。
さらにひんやりとする空気、杉の木に生えている苔の色の美しさ、凛とした静寂…。空気がきれいだと、そこに生える全ての物が美しくなるのでしょうか。
序章のような木立を抜けると展望台へ。
ここからは、七面山、早川渓谷、南アルプス連峰・八ヶ岳連峰。奥秩父山系を背にした甲府盆地へと続く大パノラマを独り占めすることができます。特に、空気の澄んだ冬の日には、雪を冠した八ヶ岳連峰や北岳をはじめとする南アルプスの絶景が貴方を待っています!
もう一つ忘れてはいけないのが、「思親閣」にお勤めをしているお坊さんとの第五種接近遭遇!すなわち、お坊さんとの会話です。別當の佐藤順行上人を始めとするお上人や若いお坊さんたちは、とてもフレンドリー。仏教の話や、人生相談などにも気軽に乗ってくださいます。
「思親閣」のご朱印は、手描きの絵とメッセージ付き。しかも、毎月変わります。
毎月変わるご朱印と、日々変わる自然の絶景を見に、そして、ご両親への感謝の気持ちを確かめるために、「奥之院 思親閣」のリピーターになることをお薦めします!
要行院 志摩房
2021/08/29
身延山のバス停から歩いて5分。門内商店街の途中にあるT字路を「身延山久遠寺」に向かって右に曲がると、そこは「日朝通り」とも呼ばれる東谷参道。
およそ、100メートル先に「要行院 志摩房」さんはあります。
印象的な赤い山門の前に2本並ぶ木は親子のしだれ桜と右近桜。春には美しい花を咲かせます。
「要行院 志摩房」さんは、身延山に現存する宿坊の中で最も長い歴史を持つ宿坊です。
なんと開創764年(令和3年現在)!
33代目の住職を務める佐藤順行(じゅんぎょう)上人に「要行院 志摩房」さんの歴史を伺いました。
初代の日傳(にちでん)聖人は、もとは善智法印(ぜんちほういん)という名の真言宗の山伏であったとか!富士川町にある小室山の真言宗の寺院で修行をし、住職を務めていたそうです。
善智法印は、1274年に身延山に入山した日蓮聖人にどちらが法力があるかの対決を挑んだものの敗北。その悔しさの末に、なんと日蓮聖人を毒入りのぼた餅を食べさせようと企み…。
おっと!この続きは、「志摩房」さんで!
食堂として使われている大広間に、「志摩房」さんの歴史絵巻が飾られているので、それを見ながら順行上人に聞いてくださいね。
「志摩房」さんの門の右側には鳥居があります。お寺なのに鳥居?と不思議に思う人もいるかもしれませんが、日本では江戸時代までは、仏教のお寺と神道の神社は入り交じり合い、その区別はほとんどなかったそうです。
この鳥居は、商売繁盛、大漁豊作の神様として名高い「最上(さいじょう)さま」をお祀りしたお稲荷さん。最上稲荷は、伏見稲荷、豊川稲荷と並ぶ日本三大稲荷の一つです。
元々、住職が60本以上の紅しだれ桜を植えた裏山に最上さまの本社があるのですが、「山上の本社にまで行けない皆様がお参りができるよう、門前に分社を建立せよ。」と、先代が夢で啓示を受けてお祀りしたという不思議なお稲荷さんです。
ホテルや旅館ではなく、宿坊=お寺 に泊まる醍醐味は、何と言っても、日常を離れて仏教の世界に浸れること。「志摩房」さんでは、日蓮宗の信者でなくても、仏教に興味がある程度の初心者でも、ただ単に心の平穏を得たいという人でもウェルカム。
「奥の院 思親閣」の別當も務める住職、順行上人が、お経の唱え方や、瞑想、などを教えてくれる他、法華経の写経をすることもできます。もちろん、お寺ならではのご祈祷やご祈願も。
清掃の行き届いた畳のお部屋で休み、翌朝は久遠寺の朝勤へ。
「志摩坊」さんで予習をした後の朝勤は、さらに特別なものとなると思います。
お部屋は、もちろん個室あり!一人旅でも、仲の良い友達同士でも、快適にプチ仏教修行を体験してみてください。
身延山 宿院 武井坊
2021/08/29
知る人ぞ知る、「走る僧侶」こと、小松祐嗣上人のことを語ろうと思えば、このページでは全く足りません。
まずは、こちらの動画を見てみてください。
動画にある七面山日参行とは、身延のもう一つの信仰の山である七面山に毎日行く修行のこと。そこら辺の店に毎日通うのとは訳が違います。距離にして往復36キロ。標高差2700メートル。朝はまだまだ真っ暗な早朝に出発し、七面山の麓にある白糸の滝で滝に打たれた後に山道へ。それも、ただ登るだけではありません。
走って登る…。
通常は4時間半ほどかかる道も、幼い頃から山を走り回って遊んでいた小松上人にとっては1時間半の道。
足の不自由な年配の方々が7~8時間かけて七面山を登る姿を見て、健脚の自分には理解できない、他人の気持ちや境遇を理解するために、20kgの荷物を背負いながら登ったり、走って登ったりしてみたのがきっかけだったとか。
太陽がギラギラと照らす夏の日も、雪がしんしんと舞い散る極寒の冬の日も全くおかまいなし。
荒行をサラリとやってのける姿を我々に見せ、「感じる」、「考える」機会を与えてくれる僧侶、それが小松上人です。
その小松上人が生を受け、現在、36代目の住職を務める「武井坊」さんは、久遠寺に向かって左側の西谷に位置します。三門からの距離はおよそ100メートル。
「武井坊」さんの「武」は、戦国の武将である武田信玄公の「武」。
武田信玄公が身延を攻めようとした際、日蓮聖人、七面大明神の神力の強さに驚愕し、武井坊を建立して祈願所にしたと伝えられています。荒々しい一面を見せながらも、真に平和を祈る小松上人の姿が、武田信玄公と重なってしまいます。
「武井坊」さんに祀られているのは、毘沙門天王。毘沙門天といえば、恵比寿、大黒天、福禄寿と並ぶ七福神として有名ですが、その信仰は平安時代に始まったそうです。鎧を身に着けた武将の姿は荒々しく、法華経を信じる者を守ってくれる存在。古代ヒンドゥー教では、金運と福徳の神様であったとか。
「武井坊」さんでは、毎年2月1日に毘沙門天例大祭が行われます。「ここぞ!」という商談やプロポーズ、何らかの形で勝たなければいけない時…、勝負運を吉祥に導くと言われている毘沙門天様の福徳にあずかってみてはいかがでしょうか?
「武井坊」さんは、宿泊ができる宿坊でもあります。
新たに美しく設え、空気が凛とするまでに清掃された館内は、まるで高級和風旅館。
日々の雑音から離れ、非日常を静かに過ごすことができます。
夕方のお勤めはもちろん、小松上人と一緒に久遠寺の朝勤に参加。小松上人は、常に寄り添ってくれます。
仏教に興味がある方、アスリート志向の方、久遠寺の287段の階段を駆け上がる「菩提梯クライムラン」や、七面山(しちめんざん)の山頂まで走る「修行走」というような、小松上人が主催するイベントに興味がある方は是非、「武井坊」さんにステイして、存分に「小松イズム」に浸ってください。
端場坊
2021/08/29
「端(はし)の場所の坊」と書いて「端場坊」。
身延山の東谷の最奥に位置している「端場坊」さんの起源は古く、日蓮聖人の主治医でもあった鎌倉時代の武士、四條金吾頼基公が1280年に開いたお寺です。
身延山内の宿坊で唯一七面山頂が望め、七面山の敬慎院と全く同じ七面大明神像もお祀りしています。
現在の住職、林是乾上人は、なんと50代目!
50人がバトンを引き継ぎ、至っている現在。現在とは、過去に目を向ければ最後の場所であることに気付きます。
と同時に、未来に目を向ければ始まりの場所。
歴史の重みを感じながら、未来の自分への一歩を踏み出せる場所。それが、「端場坊」さんかもしれません。
740年の歴史を迎え、「TEMPLE HOTEL HABANOBO」として門戸を拡げましたが、中身は、昔のように「参籠」ができる場所でありたい、と是乾上人は仰います。
参籠(さんろう)とは、修行のために、神社や寺院などにある期間こもること。
身延山やその周辺に宿泊施設は数あれど、「端場坊」さんはお寺で寝泊まりすることを「修行」として経験したい人に最適です。
トイレに入ったら手を洗う。スリッパを脱いだら揃える。必要のない時には電気を消す。食べる物に気をつけ、感謝をしながら頂く…。
ごくごく普通に思えるような日常の1シーンも、それら一つ一つをきちんと正すことが、今話題のSDGsにも、感染症予防にもつながっていたんだなと気付かれると思います。
「端場坊」さんでの一日を紹介します。
チェックインは、可能な限り17時までに。
着いたら、まずお風呂に入ります。
入浴は、まさに水行代わり。(お風呂はもちろんお湯です!)
知ってましたか?お風呂に入るということは、6世紀に仏教の伝来と共に日本に伝えられた文化だったことを!仏教では、お風呂に入ることは「七病を除き 七福を得る」や「汚れを落とすことは仏に仕える者の勤め」であり大切な修行の一つであるそうです。
ちなみに、希望者には日蓮宗特有の水行も体験することができます。(要事前予約)
水行が初めての人でも安心。是乾上人が一緒にやってくれます。男性は褌、女性には行衣の用意がありますが、下に着るTシャツやハーフパンツ等は持参ください!
身の垢、心の垢を清めた後は僧侶の修行着「作務衣」に着替え。
お寺に参籠し、身延山という霊場で過ごしている感も増すので、滞在中は是非ともその装いで!
「精進料理」の夕食タイム。
端場坊さんでは出汁にも一切動物性のものを使っていません。
美食を諫め粗食を心掛ける、いただく命に感謝をするための大事な修行です。
19時半頃からは、「夜勤(やごん)」に参加。
是乾上人から、身延山の話や、仏教・お経についての話を聞き、また、実際にお経を読む体験もできます。
もちろん、日蓮宗の宗徒でなくても全く問題はありません。
お経というと、「お坊さんが唱えるもの」と思っている方も少なくないかもしれません。が、お経を目で追うことで脳トレになり、神仏に読み聞かせるイメージで声に出すことで気持ちもリフレッシュします!
その後は風の音、虫の音に耳を傾けながら心穏やかに瞑想、そして就寝。
朝は久遠寺の朝勤へ参加のため、4時40分に玄関集合。(夏季時間。冬季は30分遅れ)
是乾上人と一緒に徒歩で久遠寺へ向かいます。
夏季の朝勤は5時30分からですが、身延山内の宿坊に泊まっていることを最大限に活かして、5時の大鐘をつくところから参拝します。まだ境内に人がいない、霊気充満する早朝の身延山を五感で感じてください。
朝勤が終わったら、希望者は是乾上人の案内で身延山の散策も。
久遠寺~ご廟所~三門・菩提梯を巡る約一時間の「身延参歩」。清々しい朝のうちのお参りがおススメです!
充実した朝活でお腹も空きます。「端場坊」さんに戻ったら美味しい朝ごはんをどうぞ!
実は、是乾上人には秘密があります。それは、大のバイク好き!二輪だけに、趣味と布教の「両輪」とのこと。
「お寺」+「ライダー」=「オテライダー」
オートバイは前にナンバーがついてないのでどこから来たかもわからない。ヘルメットを被っているのでどこの誰だか分からない。けれども、同じ時間、同じ場所、しかもお互いが反対方向から来て通り過ぎるだけ。そんな一瞬のご縁なのに、相手の旅の無事を願って挨拶をする。
「手振り合うも 他生の縁」
これって、仏教の一期一会ですよね。
端場坊さんでは、ライダーなら分かる「YAEH(ヤエー)ステッカー」も貰えます。日本初のライダース宿坊としてバイクのご祈祷がついた「オテライダープラン」も始めたそうで、希望者は山梨のおススメツーリングルートを住職と共に廻ることも出来るそうです。
「Bike(バイク)でBye苦(バイク)!」という、実はダジャレ好きの一面も持つ是乾上人に癒されてください。